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2005年11月27日 (日)

生春巻き

harumaki  初めて生春巻きを食べたのはベトナム料理屋さんであった。普段から野菜嫌いの私が、こんなに簡単に野菜を食べられる料理に出会ったのは初めてであった、感動。ちょっと野菜に好意みたいな物まで抱いてしまった。以来、かみさんと一緒に生春巻き研究の日々を送っている。

 つい先だっても、タイ料理屋さんの厨房を覗いていると、お姉さんが生春巻きを作り始めた。布巾を数枚濡らし、まな板の上に広げ、水につけたライスペーパーと交互に重ねていく。、濡れ布巾で水分が上手く調整されながらライスペーパーを柔らかくしていく作戦らしい。

 長年積み重ねた研究の末、うちのかみさんが作る生春巻きは可成りの正統派の生春巻きとなった。自慢である。かみさんが一心に巻いている横でスウィート・チリ・ソースにつけてつまみ食い、これが旨い。喰い方も葉巻風(縦食い)、ハモニカ風(横食い)、欲張り風(口に一本手に一本)といろいろある。

 カロリー問題でさんざん締め付けられている私だが、ベジタブルな生春巻きは治外法権である。

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2005年11月24日 (木)

ツバ

皆さん、潜る前にマスクの曇り止めをする時、どうしてます。                                                                                             
  

 ダイビングポイントで観察していると大半の人が小さなプラスチックの容器から曇り止めの薬品をマスクのガラスに吹き付けたり、塗り付けたりしているようです。私はこの35年間近く、ツバ一本で曇り止めをしてきました。                                      

 ペッペッとツバをマスクのガラスに吐きつけ、指でグルグルと延ばして塗り付けてます。他人になんと言われようが、一生この方法で行こうと思っていたんですけど、この前、マスクを点検したら随分カビが生えてきていました。マスクの中って結構不潔なんだと気付きました。                                                         

 洗剤でゴシゴシ洗ったら、真っ黒い水がドンドン出てきてビックリ。新しいマスクを買おうかなーと思いましたが、考え直しレンズを外し大掃除。キッタネーのに2度ビックリ、今までこんな汚いマスクを顔に被っていたんだと反省しきり。そこで曇り止め問題が浮上してきた訳だ。                                                                           

 ツバで曇り止めをしていたのでは、マスク内が不潔になってカビが生える→またもや、あわてて大掃除→厭になって新しいマスクの購入、の繰り返しでは進歩がなさすぎる。そんな訳で私も小さなプラスチック容器の曇り止め導入と相成った。                              

 ペタペタとゼリー状の曇り止めをレンズに塗り、いざ海へ。海中でマスククリアーを試みる。「ム、ムッ」、ゼリーが固まって、何度マスククリアーをしてもとれないぞ。マスクを外して海中で振り回してみた。やっと張り付いたゼリーの固まりがとれ、前がハッキリ見える様になった。俺、またツバに戻ろうかな…。

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2005年11月21日 (月)

思い出のペリス島

 1998年、今から7年前の10月にロシアのウラジオストック南方にある小さな島、ペリス島に撮影取材に行った。テーマは寒流の魚の繁殖生態。寒流の魚代表、カジカ類やホッケの産卵行動を少しでも解明したいと願っていた。何しろ、水温の低い寒流系の海では、そこに棲む魚たちを生態観察しようとしても並大抵の苦労ではない。おのずと、寒い海に棲む魚たちの生態情報は少なく、貴重な物となっている。

 初めて訪れる国ロシア、初めて潜るロシアの海、初めて出会うロシアの魚…、総て初めてずくめの取材を支えてくれたのが北海道大学の魚類学博士・宗原先生であった。先生は大のカジカ好き。カジカ類の事なら何でも知っておかねば、と言う熱い情熱で寒流の海の寒さを吹き飛ばすタフな研究者。先生が日露共同研究の一環として、このペリス島でケムシカジカの産卵行動を研究する機会を得たのを知り、押しかけ同行をお願いした。

 ウラジオストックから船で約5時間、やっと辿り着いたペリス島の小さな入り江には、小さな小屋が一棟建っているだけであった。海洋保護区のレンジャー・カチンさんが密漁を取り締まる為、一年を通して住んでいる。人口1名のプチ無人島であった。入り江周辺の浅瀬には宗原先生の研究テーマであるケムシカジカの雌が所狭しと集まり、産卵準備に取りかかっていた。魚のくせにケムシとは、名前も悪いが、その見てくれは草の生えた鬼瓦の様でもっと悪い。だが、その白身は絶妙に旨いらしく、北海道にも昔はかなりの数が棲んでいたが、皆食べられてしまい、近頃は殆ど見かけなくなった日本ローカル絶滅危惧種なのだ。その珍しいケムシカジカが水深1〜3メートルの転石の海底にゴロゴロしているのだから、宗原先生が喜ぶのも無理はない。

 そして観察を始めて数日後、我々の望み通り、ケムシカジカは産卵行動を始めた。最初、転石の間にその鬼瓦面を突っ込み、匂いを嗅ぐ様な行動をとっていたケムシカジカが突然、シャチホコのように反り返ったのだ。同時に卵で膨らんだお腹から、漏斗状の産卵管が伸び、石と石の奥深くに卵を注入した。産み付けられた卵はオレンジ色、径が6ミリ程のイクラの様な卵であった。我々はヤッターヤッターと大喜び、念願の産卵生態撮影成功、世界初の快挙である。

 勢いに乗った取材班は「今度はホッケだーッ!」と調子に乗った。ホッケは入り江の対岸周辺に雄が縄張りを作り、雌を待ちかまえている状況。しかし、海は秋も深まり、水温も11度を切る冷え込み。ドライスーツに身を固め、元気の良い雄ホッケの縄張りに張り込む事2時間以上。「お、オシッコ!」と堪えきれずに対岸に這いずり上がり、ドライスーツが脱げなく、七転八倒する者まで出てきた。オシッコはまだ良いが、お腹が冷え、「う、ウ…」の方まで騒ぎは広がった。今更ながら寒流域での生態観察の大変さを実感。幾多の困難を乗り越え、ホッケの産卵を撮影できたのはチャレンジを初めて1週間程経った夜であった。

 ひとしきり雄同士の喧嘩を繰り返し、戦いのない空白の時間帯に雌がそっと雄の準備した産卵床に近づき、雄が激しい求愛を始めた。雄は盛んに雌の眼前で体を震わせている。宗原先生によると、ホッケの雄は雌を興奮させる為にオシッコを掛けているらしい。こっちが必死にオシッコを我慢しているというのに…。暫くすると、雌が産卵床にグッと体を押しつける様にして産卵。雌が前に進むと雄がすぐ後から卵塊に身を乗せ放精、雌が再び元の位置に戻り、顔を鏝のように使いながら卵塊を石の間に押しつけ固定する行動を見せてくれた。「ヤッターヤッター、ウレシーッ アハアハアハハハハハ……」と歓喜と痴呆の声が海底に木霊した。ちょっと長野オリンピックのジャンプ競技のようでした。めでたくも貴重なフーティッジを獲得し、日本に凱旋した私であった。

 上手く行った取材の話は書いていても気持ちいいね。

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2005年11月16日 (水)

マッサージチェアー

念願のマッサージチェアーを手に入れたのは去年の5月。

配送の車がマンションの入り口まで運んできてくれた。重さは梱包材を入れ90キロ。

早く部屋に運び込んで、揉み具合を試してみたいと焦るが、家は自慢のエレベーターなしマンションの4階、どうする…?

だまして会社から連れてきた副社長と配送の運転手さん、そして私の3人で階段を運び上げる事となった。

梱包を壊し、巨大なマッサージチェアーを引っ張り出し、リクライニングさせた状態を3人で運び始めた。スッゲー重い。

狭い階段、重心配分のとれない椅子、蒸し暑い初夏の日差し…最初の階段の角で肘掛けのプラスチックカバーが割れ、はじけ飛んだ。それにしても、なんて重いんだろう。持つ手が汗で滑る。間口75センチの玄関に幅80センチの椅子をねじ込む。部品がきしむ。

家が喉つまりを起こすようにしてマッサージチェアーを飲み込んだ。

配送の人が逃げるように帰っていった。

副社長がヨレヨレになって会社に戻っていった。

皆、スマン・スマンと心で謝りながらマッサージチェアーにかかる。

ウッ!なかなか上手いぞ!背筋が伸びる。

先程、階段で酷使した背筋が悦びの呻きを上げている。

説明書を読むと「体重100キロまで」と書いてある。現在110キロ近くある重量を受けて、機械はスムースに動いている。ヤルジャン!耐久テストとばかりに、かみさんを上に乗せてみた。ウッ、効クーッ!プロレスラーに揉まれているみたいだ。

あれから1年半、我がファミリーマッサージチェアーは不当な重量オーバーにもめげず、毎日私たち夫婦を揉み続けてくれる。コストパフォーマンス抜群の買い物であった。満足満足大満足!

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2005年11月10日 (木)

魚になった日

来年で潜水歴40年目をむかえる私。

どんな物にも始まりがあるように、私にも初めて海に潜る日があった。

伊豆海洋公園の鬼軍曹・友さんに潜水訓練を受けた。

初日はプール訓練、翌日は早速ダイビングという素早さだ。

当時は訓練カリキュラム等という物はなく、講習生の様子を見てインストラクターが判断し、講習を進める形だった

初めて水の中に潜る興奮で、喉がカラカラだったのを覚えている。

水面でシュノーケルをレギュレターに取り替え、いざ海中へ。

思うに任せぬ浮力との戦い…、期待ばかりが膨らむ。

「痛テ、痛テテテテ…」 耳抜きが上手くできん!友さんが,しきりと鼻をかめ、アゴを動かせとサインを送ってくる。

鼓膜は水圧に押され、破裂寸前。なんと、根性で水深6メートルほどの海底まで潜った。耳はギシギシと水圧で締め付けられ、痛いの痛くないのって…痛かったです。

一緒に潜った、兄は簡単に耳抜きが出来、スイスイと泳いでいる。

ダァーメェーダァァァーッ!我慢できん!と初日のダイビング、ギブアップ。

そう、今は海を前にして、大きな顔をしている私だが、その出発点は汚辱にまみれたものであったのだ。

「挫折」が人間を大きく育てるのッ!大きく。

その後、東京に帰って、耳鼻咽喉科の診察を受ける。水圧による鼓膜後屈、治療7日間を要する。

トホホ…な気持ちで病院に通い詰め、ついでに耳抜きに大切な、耳管を掃除して貰う。鼻の穴から管を差し込み、喉の奥の部分をエアーで洗う。これはかなり気持ち良い。脳味噌が涼しくなって、頭が軽くなった気がした。

そして、次回の海洋実習でやっと海に潜ることができた私でした。

今では、鼻をかむでもなく、アゴを動かすでもなく、簡単に耳抜きができてしまう私だが、「ローマは一日にして成らず」、数多くの挫折を経て魚になったのさ。

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2005年11月 5日 (土)

センチメンタルジャーニー

しばらくの間、ブログの更新が出来ず、スマン スマン…。
島根県の沖泊と言う漁村に撮影取材に行っていた。
沖泊は過去に何度も潜りに行った、いわば馴染みの水中撮影ポイント。フネダコ・エチゼンクラゲ等々、素晴らしい生物たちとの出会いがあった場所だ。
今回のテーマは「ハナデンシャ」、ウミウシの仲間だ。
このウミウシ、発光生物としてよく知られている。非常に珍しい種類で、何時何処で出会えると言う生物ではない。そんな訳で、今回のように「ハナデンシャ出現!!」の報に、1も2もなく、東京を車で即出発となった訳だ。
東名高速・名神高速・米子自動車道と乗り継いで島根半島の最北端・沖泊まで9時間半。
機材満載の取材車でヨレヨレになりながら辿り着いた海は穏やかな凪に静まりかえっていた。さて「ハナデンシャ」は華やかな発光を我々に見せてくれたか…どうか…は後日のブログに書かせていただく。
間もなくニュース番組でその発光生態をお見せできるまで、楽しみにとって置こう。

本日の主題はセンチメンタルジャーニー。
小学4年生の頃、家族で行った鳥取の海の記憶を辿る旅をしてきた。
沖泊からの帰り道、高速を使わずに国道9号線を一路東へ…。
一番鮮明に覚えている鳥取の海の記憶、浦富海岸、あの水晶のように澄んだ海には、どんな生物たちがいるのだろう…。「母さん、僕の麦わら帽子、何処に…」ってな感じで潜りに行ってみたのだ。
鳥取市から小一時間で昔懐かしい浦富海岸があった。「エッ こ、ここ浦富海岸??」あまりに開発されてしまい、昔の面影がほとんど無い。
近くのダイビングサービス・マリンパーク羽尾に頼んで、潜りに連れて行って貰った。
その海底はダイナミックな地形、綺麗なクリーム色の砂…、苦み走った寒流系の魚たち、楽しい時間を過ごす事が出来た。
短い滞在では、その秘めたる魅力を垣間見るだけだが、その内に、このノスタルジックな海からも海の生き物たちの物語を作り出してみたいと思った。

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